ビキニcomブッダ@ブラジル

                                          BRASIL連邦共和国 Rio Grande do Norte州の海辺にて                                                  ビキニで暮らす仏教徒の『ゑん』な日々♪

こころの目  






インターネットの普及により、
この世界はとても便利になった。
図書館に行かずとも、辞書をひかずとも、
すぐに情報を知ることができる。

しかし危険でもある。
ググってたくさんの情報を集めただけのくせに、
それを自らの意見であり知恵である、
と、履き違える者が多くなったからだ。


ただの『情報』には心がない。
情報のみをコンパクトに整理した脳みその中は、
想像力がなく、色彩に欠け、浅く狭い。




『心の目』というのでオレの想うのは、
サン・テグジュペリの『星の王子さま』だ。

羊を描いてくれ、王子さまに頼まれ、
羊を描いてみせる主人公。
しかし王子さまはその絵が気に入らない。
なんども描き直すのだがやはり気に入らない。
困った主人公は、ひつじを描くのをあきらめて、
ひとつの箱の絵を描く。
「この箱のなかに、きみのほしいひつじがいるよ」と。
王子さまは喜んだ。
「ぼくの欲しかったひつじはこういうのなんだ!」





夫が学んだ杉田善孝上人は、
『心の目で見ることができない人が増えた』
と、嘆かれていたそうだ。
心の目で見ることができない、ということは
肉眼で見えるものしか信じない、ということだ。
テレビやパソコンの普及も大きな要因となっているだろう。

心の目は閉じてしまい、
肉の目のみでモノゴトを見る。
目に見えぬモノは存在しない、と決めてしまう。
神はいない、
仏もいない、
おばけもいない、
サンタクロースもいない。



なにかよくわからない偉大なる存在を感じないようになると、
自然に対しての畏怖の念も抱かなくなる。
だからどんどんどんどん便利を求め、
罪のある行為を平気でする。
遺伝子を組み換え、
原子力発電所を作る。


サンパウロの友・ヒデヲさんは、しょっちゅう言っていた。
「わるいことをすると、鬼がやってきて、
 ドーーーーンと大きい石を落とされるんだな」と。


ガンジーはこうおっしゃった。
『見るためだけの目は世界にたいして盲目となる』。


星の王子さまは、いいことを教えてくれる。
「秘密を教えるよ。とてもシンプルなことなんだ。
 心で見るんだよ。大切なことは目に見えないんだ」。




・・・ということを考えたのは、
きのう、おととい、土日とも
お客さんがひとりも来んかったことについて
落ち着いた心で思ってみたからだ。


肉眼に見えるお客さんは来んかったばってん
心の眼には、見えるではないか。
なにか大きくてあたたかいモノが
いつもいつも一時も休まず
美しい水をたたえた聖地・ゑんを
訪れとるんが見えるではないか!




この大切なことを、
うっかり忘れそうになっとったなぁ。

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月曜日。
今週も素晴らしき日々でありますように。




(=ΦωΦ=)




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掘って掘って股ほって…エッ  







お盆やけん里帰りしとるかたも多いことやろう。
オレも2年ぶりの里帰りしたいなぁ。
と、日本のお盆を恋しく想っておる。

地獄の釜の蓋が開く、っちゅうことで
お盆のあいだは海に出てはいけん、っちゅう風習、
いまもあるんかな。

亡くなった人をお墓に迎えにいって
お墓に送りにいくという風習があるのがお盆やが、
もともと『お盆』とは『引っくり返る』の意。

何度も拙ブログにも書いたのでご記憶のかたもおられようが、
お盆、とは、

仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)を略したもの。

語源は梵語で、ウランバナ(Ullanbana)っちゅうて、

直訳すると『逆さに吊るす』の意味。

死後に餓鬼道におちて、

逆さに吊るされる苦しみを救う、というのが、
お盆の由来。

お坊さんがお盆にお参りにいらした際、
まっさきに唱えるのが破地獄偈(はじごくげ)っちゅうお経。

破地獄偈

若人欲了知(にゃくにんよくりょうち)
三世一切佛(さんぜいっさいぶつ)
応感法界性(おうかんほうかいしょう)
一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)

簡単に訳せば、

あらゆる存在や
あらゆる現象は 
ぜんぶ自分の心が創っとる。

すなわち、実体がないまぼろしなのだ。
まぼろしならば、破れるはず、 
おそれることなかれ。の意。

恐怖も不安も、まぼろし、
特定の人を憎む心もまぼろし、
おばけもまぼろし、
すべて、じぶんのこころが創っとるだけ。
なので、破ることができる。
 
逆さに吊るされるぐらいしんどい境地に追い込まれたとき、
思い出して念じたい偈文だ。



さぁて。
いまから頭ドリルで土ほって、日本にお墓参りに行こう。

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掘って掘ってまた掘って〜♬






(=ΦωΦ=)




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三回忌🌻  






今年の日本は、とても暑い夏になっているようだ。
オレの暮らすこの土地は常夏なのだが
それでも6月末から7月いっぱいのあいだは
雨が多く肌寒い(といっても20℃を下回りはしないのだが)日がつづいており
8月に入ったいまも、まだまだ気候は安定してない。
今年は特に雨が多い。


オレにとっての8月とは
まずは子どものころの長い長い夏休みの記憶、
2度の原爆投下を想う月。
8月の熱い熱い大地には熱風がこもり、
息が出来ないくらいの暑さに目がかすむようなイメージ。
そしてもうひとつ、同い年の友人が亡くなった月。
ひまわりのような彼女が亡くなって2年が経つ。

生きたくて生きたくて苦しい闘病をがんばったあゆみ以上に
オレはきちんとこの2年間生きてきただろうか。
『それなりにがんばってきた』と振り返ることができたが、
1日1日を阻末に扱わず精一杯やってきたか、と問われると、
胸をはることができない気もする。

そのようなことを想いながら迎えた8月。
福岡の夏の風物詩・大濠公園の花火大会の様子を
友人がアップした動画で堪能させてもろうた良き日だったのだが、
悲しい事件が起こった。

わが集落の中心地、
イルカの像がありバス停があるバイクタクシー乗り場で、
バイクタクシー運転手のクッカが2人組に射殺されたのだ。
クッカは死亡、襲撃したふたりも追い掛けた仲間の警官が射殺。
オレら家族やファビオをはじめ
集落の全員が大きな衝撃を受けた。
温厚で安全運転、いつもにこにこしとったクッカが
なぜ殺されねばならなかったのかは
犯人亡き今はなぞのままだ。




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いつ死ぬかは自分で選べない、という
あたりまえのことを、このような突発的な悲劇により
まざまざと突きつけられる。
縁起により生かされていることを。

縁起 = 法 = 仏 。

これらは同義語であり、わかりにくいかもしれないが
簡単にあらわせば、

こころに仏様のお姿を
念じている(縁じている)状態のこと。

『おかげさま』を常に忘れないことなのだが、
ついつい日常の些事にかまけ
信念から離れてしまいがちになる。



クッカのこと、そしてあゆみの三回忌をまえに、
熱い風のなか呼吸困難に陥っていたのだが、
さきほど受け取ったメールで元気を取り戻した。

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ご縁やなぁ、と、
夫と娘とでニコニコしながら文面を読んだ。

里帰りやお盆のお墓参りなどで
たくさんの人が移動し心も改める8月。
故郷日本からはるか遠くに暮らしているけれど
同胞のかたと明日お逢いできることへのありがたさに、
手を合わせたいと思う。
そしてあゆみの三回忌に。
合掌。




(=ΦωΦ=)



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礼拝堂の予約  







初めて、仏教講義の予約をいただいた。

レストランの予約が入るよりも実はうれしい。


板張りの床をみがきながら、
この礼拝堂ができるまで、を思い返した。
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この家にオレらが暮らしはじめたとき
庭には元の家主がこしらえた
キリスト教のお堂があった。
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これを改造してお念仏道場にできないか、と計画をはじめたオレら。
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三昧仏さまを掲げる床の間をこしらえ、
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天井や壁には漆喰を塗った。
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 粉じんを吸い込みながらの作業は難航した。





自分たちで板張りした床。
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 本当に骨の折れる作業だった。




デザインした扉を設置し、
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建具の色やニスを塗る。
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丹精込めた作業の積み重ねにて、
想像以上に素晴らしい礼拝堂を完成させることができた。
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入居時、こんなに荒れ果ててた庭と礼拝堂が、
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いまはこんなに活き活きしている。
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レストランとともに仏道の布教も始まった『ゑん』。
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ビキニ姿の僧侶の妻があなたをお待ちしている。




(=ΦωΦ=)



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火に願う  








オレの暮らすブラジルはノルデスチ地方は、
6月祭り(フェスタ・ジュニーナ)が
全国でもひときわ盛り上がる地域だ。

とくに本日24日は、サン・ジョアン(聖ヨハネ)の日。
人々は家の前で焚き火をごうごう燃やし、
悪霊を払い聖者の日を祝うのだ。

オレらも今夜は焚き火をしようと目論み、
いま薪をあつめておる。
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オレの敬う山崎弁栄聖者は『お念仏』のことを、
『真っ黒な炭に火がつくことにより真っ赤になって
 炭と火が一体となること』にたとえられた。


炭は『自分』
火は『ブッダ』
炭に火をつけようと扇いで酸素をおくる行為が
オレの信仰でいうところの『お念仏』。



火のともってない炭は
ただの真っ黒のかたまり。
触ると手が黒く汚れるから皆から嫌われる。

しかし火がつけば、
暖をとることができるから人が喜んで寄ってくる。
お湯もわかすことができる。
魚や肉を美味しく焼くことができる。




さて。
炭火焼きをしたことあるひとなら思いあたろうが
炭に火をつけようとして、
じゃんじゃん団扇であおいでばかりだと火は消える。

弁栄聖者は
「火微かなるに風強ければ、火かえって消ゆ。」
 と、おっしゃっておる。

これは、己が煩悩である炭ばかりに
気持ちがむかっている状態である。
みずからに向かって
「オレってダメじゃん。渇!」
ばかり思うておるんはいけない。

『火』である、『あみだ様』を、思わねばならぬ。
あみだ様の存在をつねに忘れてはならぬ。
『神様』と置き換えてもよい。
信仰がない、と、言うかたは、
『宇宙の法則』とか
『なにかよりどころになるモノ』に置き換えてもよかろう。


すると炭に火がつく。
心のなかに
ブッダのおかげさまを感じることができれば
炭に火が灯る。

人に嫌われる弱点が、
喜んでもらえる長所と成る。
煩悩が菩提となる。




火のついた炭の美しいこと美しいこと。
火のついた炭のあたたかいこと暖かいこと。


おのが心に
他者を暖めることのできる炭火を持ちたい。
これがいまのオレの願い。





(=ΦωΦ=)



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