ビキニcomブッダ@ブラジル

                                          BRASIL連邦共和国 Rio Grande do Norte州の海辺にて                                                  ビキニで暮らす仏教徒の『ゑん』な日々♪

掘って掘って股ほって…エッ  







お盆やけん里帰りしとるかたも多いことやろう。
オレも2年ぶりの里帰りしたいなぁ。
と、日本のお盆を恋しく想っておる。

地獄の釜の蓋が開く、っちゅうことで
お盆のあいだは海に出てはいけん、っちゅう風習、
いまもあるんかな。

亡くなった人をお墓に迎えにいって
お墓に送りにいくという風習があるのがお盆やが、
もともと『お盆』とは『引っくり返る』の意。

何度も拙ブログにも書いたのでご記憶のかたもおられようが、
お盆、とは、

仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)を略したもの。

語源は梵語で、ウランバナ(Ullanbana)っちゅうて、

直訳すると『逆さに吊るす』の意味。

死後に餓鬼道におちて、

逆さに吊るされる苦しみを救う、というのが、
お盆の由来。

お坊さんがお盆にお参りにいらした際、
まっさきに唱えるのが破地獄偈(はじごくげ)っちゅうお経。

破地獄偈

若人欲了知(にゃくにんよくりょうち)
三世一切佛(さんぜいっさいぶつ)
応感法界性(おうかんほうかいしょう)
一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)

簡単に訳せば、

あらゆる存在や
あらゆる現象は 
ぜんぶ自分の心が創っとる。

すなわち、実体がないまぼろしなのだ。
まぼろしならば、破れるはず、 
おそれることなかれ。の意。

恐怖も不安も、まぼろし、
特定の人を憎む心もまぼろし、
おばけもまぼろし、
すべて、じぶんのこころが創っとるだけ。
なので、破ることができる。
 
逆さに吊るされるぐらいしんどい境地に追い込まれたとき、
思い出して念じたい偈文だ。



さぁて。
いまから頭ドリルで土ほって、日本にお墓参りに行こう。

securedownload_20170814204817531.jpeg


掘って掘ってまた掘って〜♬






(=ΦωΦ=)




AD

category: 仏教・哲学

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 0

三回忌🌻  






今年の日本は、とても暑い夏になっているようだ。
オレの暮らすこの土地は常夏なのだが
それでも6月末から7月いっぱいのあいだは
雨が多く肌寒い(といっても20℃を下回りはしないのだが)日がつづいており
8月に入ったいまも、まだまだ気候は安定してない。
今年は特に雨が多い。


オレにとっての8月とは
まずは子どものころの長い長い夏休みの記憶、
2度の原爆投下を想う月。
8月の熱い熱い大地には熱風がこもり、
息が出来ないくらいの暑さに目がかすむようなイメージ。
そしてもうひとつ、同い年の友人が亡くなった月。
ひまわりのような彼女が亡くなって2年が経つ。

生きたくて生きたくて苦しい闘病をがんばったあゆみ以上に
オレはきちんとこの2年間生きてきただろうか。
『それなりにがんばってきた』と振り返ることができたが、
1日1日を阻末に扱わず精一杯やってきたか、と問われると、
胸をはることができない気もする。

そのようなことを想いながら迎えた8月。
福岡の夏の風物詩・大濠公園の花火大会の様子を
友人がアップした動画で堪能させてもろうた良き日だったのだが、
悲しい事件が起こった。

わが集落の中心地、
イルカの像がありバス停があるバイクタクシー乗り場で、
バイクタクシー運転手のクッカが2人組に射殺されたのだ。
クッカは死亡、襲撃したふたりも追い掛けた仲間の警官が射殺。
オレら家族やファビオをはじめ
集落の全員が大きな衝撃を受けた。
温厚で安全運転、いつもにこにこしとったクッカが
なぜ殺されねばならなかったのかは
犯人亡き今はなぞのままだ。




IMG_9135_201708031300586b3.jpg



いつ死ぬかは自分で選べない、という
あたりまえのことを、このような突発的な悲劇により
まざまざと突きつけられる。
縁起により生かされていることを。

縁起 = 法 = 仏 。

これらは同義語であり、わかりにくいかもしれないが
簡単にあらわせば、

こころに仏様のお姿を
念じている(縁じている)状態のこと。

『おかげさま』を常に忘れないことなのだが、
ついつい日常の些事にかまけ
信念から離れてしまいがちになる。



クッカのこと、そしてあゆみの三回忌をまえに、
熱い風のなか呼吸困難に陥っていたのだが、
さきほど受け取ったメールで元気を取り戻した。

IMG_9635_2017080313083426e.png



ご縁やなぁ、と、
夫と娘とでニコニコしながら文面を読んだ。

里帰りやお盆のお墓参りなどで
たくさんの人が移動し心も改める8月。
故郷日本からはるか遠くに暮らしているけれど
同胞のかたと明日お逢いできることへのありがたさに、
手を合わせたいと思う。
そしてあゆみの三回忌に。
合掌。




(=ΦωΦ=)



AD

category: 仏教・哲学

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 0

礼拝堂の予約  







初めて、仏教講義の予約をいただいた。

レストランの予約が入るよりも実はうれしい。


板張りの床をみがきながら、
この礼拝堂ができるまで、を思い返した。
IMG_8766_20170721185008a06.jpg




この家にオレらが暮らしはじめたとき
庭には元の家主がこしらえた
キリスト教のお堂があった。
1_20170721174525dec.jpg




これを改造してお念仏道場にできないか、と計画をはじめたオレら。
2_20170721174526d70.jpg




三昧仏さまを掲げる床の間をこしらえ、
3_20170721174527535.jpg




天井や壁には漆喰を塗った。
33_201707211745421cc.jpg

4_20170721174528c19.jpg

 粉じんを吸い込みながらの作業は難航した。





自分たちで板張りした床。
5_2017072117453038b.jpg

6_20170721174531ddc.jpg

 本当に骨の折れる作業だった。




デザインした扉を設置し、
9_20170721174535e1d.jpg

7_201707211745323c0.jpg




建具の色やニスを塗る。
8_20170721174534006.jpg




丹精込めた作業の積み重ねにて、
想像以上に素晴らしい礼拝堂を完成させることができた。
DSC_0151_201707211745432f6.jpg





入居時、こんなに荒れ果ててた庭と礼拝堂が、
10_201707211745386ef.jpg




いまはこんなに活き活きしている。
11_20170721174539872.jpg




レストランとともに仏道の布教も始まった『ゑん』。
12_20170721181413516.jpg


ビキニ姿の僧侶の妻があなたをお待ちしている。




(=ΦωΦ=)



AD

category: 仏教・哲学

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 2

火に願う  








オレの暮らすブラジルはノルデスチ地方は、
6月祭り(フェスタ・ジュニーナ)が
全国でもひときわ盛り上がる地域だ。

とくに本日24日は、サン・ジョアン(聖ヨハネ)の日。
人々は家の前で焚き火をごうごう燃やし、
悪霊を払い聖者の日を祝うのだ。

オレらも今夜は焚き火をしようと目論み、
いま薪をあつめておる。
IMG_7162.jpg


オレの敬う山崎弁栄聖者は『お念仏』のことを、
『真っ黒な炭に火がつくことにより真っ赤になって
 炭と火が一体となること』にたとえられた。


炭は『自分』
火は『ブッダ』
炭に火をつけようと扇いで酸素をおくる行為が
オレの信仰でいうところの『お念仏』。



火のともってない炭は
ただの真っ黒のかたまり。
触ると手が黒く汚れるから皆から嫌われる。

しかし火がつけば、
暖をとることができるから人が喜んで寄ってくる。
お湯もわかすことができる。
魚や肉を美味しく焼くことができる。




さて。
炭火焼きをしたことあるひとなら思いあたろうが
炭に火をつけようとして、
じゃんじゃん団扇であおいでばかりだと火は消える。

弁栄聖者は
「火微かなるに風強ければ、火かえって消ゆ。」
 と、おっしゃっておる。

これは、己が煩悩である炭ばかりに
気持ちがむかっている状態である。
みずからに向かって
「オレってダメじゃん。渇!」
ばかり思うておるんはいけない。

『火』である、『あみだ様』を、思わねばならぬ。
あみだ様の存在をつねに忘れてはならぬ。
『神様』と置き換えてもよい。
信仰がない、と、言うかたは、
『宇宙の法則』とか
『なにかよりどころになるモノ』に置き換えてもよかろう。


すると炭に火がつく。
心のなかに
ブッダのおかげさまを感じることができれば
炭に火が灯る。

人に嫌われる弱点が、
喜んでもらえる長所と成る。
煩悩が菩提となる。




火のついた炭の美しいこと美しいこと。
火のついた炭のあたたかいこと暖かいこと。


おのが心に
他者を暖めることのできる炭火を持ちたい。
これがいまのオレの願い。





(=ΦωΦ=)



AD

category: 仏教・哲学

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 0

聖地はいずこも水辺にある  






タイトルの『聖地はいずこも水辺にある』とおっしゃったのは、
昨年ご遷化なさった高僧であり学者であらせられる河波先生だ。

一昨年前にオレが修行に参加した道場である阿弥陀寺は、
諏訪湖をのぞめる高台にあり
本堂の横には湧き水が溢れていた。


阿弥陀如来さまにご縁をいただいたんだと思うのだが、
オレがいま暮らしているのは、
日本では絶滅種となったタガメが棲息し
ホタルが飛び交う湖・アリトゥーバ湖のほとり。

IMG_4469 のコピー


 毎日のんでいる水は、
 地下45メートルから汲み上げている湧き水だ。





唐沢山は河波先生にとっても特別な聖地であらせられたようで、
晩年、透析を受けるお体になってからも、
毎年導師をおつとめになられた。

「ここに来て、触れることが一番大切だ」。





布教の心得について、おたずねすると
河波先生はこうお答えくださった。


「理論、理屈は駄目。
 心で話すこと」。




また、
「汗もかかなければならない」
とも、おっしゃった。




これは布教だけに限らず
いろいろな物事に通ずるお言葉だ、と
オレは受け止めている。


ごちゃごちゃと机上の空論を並べるより、
そこへ行き実際に触れることの大切さ。
自分の体を動かし汗をかくことの大切さ。
涙を流さなければならないときもあるだろう。

さっき通り過ぎていったどしゃぶりも、
長雨がつづく日本の梅雨も、
われわれに必要な、
流れる水なのだ。






先日、仏教徒の青年が訪れてくれた。

2_20170622232623b02.png

礼拝堂にて、
あみださまを讃える『歎佛偈』を詠んだ。




IMG_6970.jpg




『法』は『人』を通じて伝播してゆくものであるが、
これまたそれも、仏道にかぎらない、オレは思う。
『心技体』のなかの『心』の重要度は高い。


心をよどませず、
さらさらさらさらと
いつも心中に清きせせらぎを流すことができれば、
その美流は周囲と同化し、
思いやりや智恵を交換・交歓しあえると思うのだ。
IMG_6667.jpg

水は自分の内から湧かせることもできる。

こころに淀んだ毒を溜めとる人に
自分の内から湧かせた清い水を
ざぶざぶと流し込むことができるようになりたい。




きょうもオレらは、
美しい水をたたえたアリトゥーバ湖のほとりで
あなたの来訪を待っている。





(=ΦωΦ=)


AD

category: 仏教・哲学

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 0