ビキニcomブッダ@ブラジル

                                          BRASIL連邦共和国 Rio Grande do Norte州の海辺にて                                                  ビキニで暮らす仏教徒の『ゑん』な日々♪

火に願う  








オレの暮らすブラジルはノルデスチ地方は、
6月祭り(フェスタ・ジュニーナ)が
全国でもひときわ盛り上がる地域だ。

とくに本日24日は、サン・ジョアン(聖ヨハネ)の日。
人々は家の前で焚き火をごうごう燃やし、
悪霊を払い聖者の日を祝うのだ。

オレらも今夜は焚き火をしようと目論み、
いま薪をあつめておる。
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オレの敬う山崎弁栄聖者は『お念仏』のことを、
『真っ黒な炭に火がつくことにより真っ赤になって
 炭と火が一体となること』にたとえられた。


炭は『自分』
火は『ブッダ』
炭に火をつけようと扇いで酸素をおくる行為が
オレの信仰でいうところの『お念仏』。



火のともってない炭は
ただの真っ黒のかたまり。
触ると手が黒く汚れるから皆から嫌われる。

しかし火がつけば、
暖をとることができるから人が喜んで寄ってくる。
お湯もわかすことができる。
魚や肉を美味しく焼くことができる。




さて。
炭火焼きをしたことあるひとなら思いあたろうが
炭に火をつけようとして、
じゃんじゃん団扇であおいでばかりだと火は消える。

弁栄聖者は
「火微かなるに風強ければ、火かえって消ゆ。」
 と、おっしゃっておる。

これは、己が煩悩である炭ばかりに
気持ちがむかっている状態である。
みずからに向かって
「オレってダメじゃん。渇!」
ばかり思うておるんはいけない。

『火』である、『あみだ様』を、思わねばならぬ。
あみだ様の存在をつねに忘れてはならぬ。
『神様』と置き換えてもよい。
信仰がない、と、言うかたは、
『宇宙の法則』とか
『なにかよりどころになるモノ』に置き換えてもよかろう。


すると炭に火がつく。
心のなかに
ブッダのおかげさまを感じることができれば
炭に火が灯る。

人に嫌われる弱点が、
喜んでもらえる長所と成る。
煩悩が菩提となる。




火のついた炭の美しいこと美しいこと。
火のついた炭のあたたかいこと暖かいこと。


おのが心に
他者を暖めることのできる炭火を持ちたい。
これがいまのオレの願い。





(=ΦωΦ=)



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聖地はいずこも水辺にある  






タイトルの『聖地はいずこも水辺にある』とおっしゃったのは、
昨年ご遷化なさった高僧であり学者であらせられる河波先生だ。

一昨年前にオレが修行に参加した道場である阿弥陀寺は、
諏訪湖をのぞめる高台にあり
本堂の横には湧き水が溢れていた。


阿弥陀如来さまにご縁をいただいたんだと思うのだが、
オレがいま暮らしているのは、
日本では絶滅種となったタガメが棲息し
ホタルが飛び交う湖・アリトゥーバ湖のほとり。

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 毎日のんでいる水は、
 地下45メートルから汲み上げている湧き水だ。





唐沢山は河波先生にとっても特別な聖地であらせられたようで、
晩年、透析を受けるお体になってからも、
毎年導師をおつとめになられた。

「ここに来て、触れることが一番大切だ」。





布教の心得について、おたずねすると
河波先生はこうお答えくださった。


「理論、理屈は駄目。
 心で話すこと」。




また、
「汗もかかなければならない」
とも、おっしゃった。




これは布教だけに限らず
いろいろな物事に通ずるお言葉だ、と
オレは受け止めている。


ごちゃごちゃと机上の空論を並べるより、
そこへ行き実際に触れることの大切さ。
自分の体を動かし汗をかくことの大切さ。
涙を流さなければならないときもあるだろう。

さっき通り過ぎていったどしゃぶりも、
長雨がつづく日本の梅雨も、
われわれに必要な、
流れる水なのだ。






先日、仏教徒の青年が訪れてくれた。

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礼拝堂にて、
あみださまを讃える『歎佛偈』を詠んだ。




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『法』は『人』を通じて伝播してゆくものであるが、
これまたそれも、仏道にかぎらない、オレは思う。
『心技体』のなかの『心』の重要度は高い。


心をよどませず、
さらさらさらさらと
いつも心中に清きせせらぎを流すことができれば、
その美流は周囲と同化し、
思いやりや智恵を交換・交歓しあえると思うのだ。
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水は自分の内から湧かせることもできる。

こころに淀んだ毒を溜めとる人に
自分の内から湧かせた清い水を
ざぶざぶと流し込むことができるようになりたい。




きょうもオレらは、
美しい水をたたえたアリトゥーバ湖のほとりで
あなたの来訪を待っている。





(=ΦωΦ=)


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ワインはわが血なり  






本日は『 聖体祭(Corpus Christi)』。

イエス・キリストが十字架にかけられる前、最後の晩餐にて
パンを「これは我が体なり」
ワインを「これは我が血なり」と言うたことから
これを記念しての祭礼である。
キリスト教にとって大切な行事。

生命を持っているわけではないパンを
「これはオレの体やけんね」っちゅうて
弟子たちに食べさせたキリストはすごい。

なぜならその言葉によって
パンが不死性の仲間へと変化したのだから。
パンはただの小麦粉のかたまりではなくなり
オレの仏教でいうところの『霊の糧』となる。

自分(キリスト)を食べることによって
仲間(ここでいう弟子)にも
永遠のいのちになってほしい
、という願い。


ちなみに弁栄聖者は
涅槃(ねはん)のことをイコール
永遠のいのち・常恒の平和 と
易しく言いなおされた。
とても解りやすい。



サンパウロに住んでたときは、
職場のすぐそばにサンパウロを象徴する大聖堂があった。
仕事しながらSé教会をながめるのが好きやったなぁ。
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ちなみにサンパウロは日本と気候が真逆なので
今時期はとても寒い。

聖体行列が寒くない状態でおこなわれ、
雨で花道がぬれないといいな。
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聖体祭にかこつけて、
ワインをがぶがぶ飲もうと目論んでいる。
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つまみはハンバーグにしようか、ボロネーゼにしようかと
わくわくしとるのだが、
きょうは祝日なのでレストランを開店せねばならん。

このごろは雨が多くて庭の草木が伸び放題。
開店までの午前中に枝切り草刈りをやって
店を開けて、、、
ワインは日没後までおあずけやなぁ。




(=ΦωΦ=)



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アフリカからきた筏  







ある日。
いつものように浣腸の、じゃなくて、干潮のときに
食料を探しながら岩礁のうえを歩いていたら・・・




カッコいいイカダを発見!
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きっと、この海のむこうがわ、
母なるアフリカから流れ着いたのだろう。







 持って帰ろうとしたが、とても重くて
 押せども引けども、びくともせんかった。




数週間後。

そのイカダが岩礁を乗りこえ、
砂浜(野原状態になっとるが満潮時は海に浸かる)に漂着しとるのを発見!

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ふたたび拾って帰ろうとしたが、
重さは変わらず凹



よし。カナブン号で迎えにこよう♬




夫・Welderがちょちょいのちょいでロープをひっかけた。




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しゅっぱ〜〜つ、しんこ〜〜!

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まずは、砂浜を脱出。







公道に出ると、集落の仲間たちが声をかけてくれる。



「だいじょうぶか〜? 手伝おっかぁ?」と。




上機嫌なオレら。るんるんだ♬







さぁ、家まであと30秒だぞ。






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ちょっとこわれたけど、無事到着!



門に立てかけてメニューの黒板をかけよっか、とか
いろいろな使い道を思案するのが楽しい。






さて。ちょっと仏教の話。
なかなか離れられない感情のひとつに『執着』というものがある。


お釈迦さまは
「イカダは川を渡るもの。
 渡りおわったら捨てなさい」とおっしゃった。

この意は、
用がすんだらとっとと捨てろ、ではなく、
目的に達するための手段であるイカダに執着するな 
の意。

今のご時世、断捨離とかゆうて、なんでもかんでも捨てる風潮が蔓延しとるが、
それは大きなまちがいだ。
と、申し添えく。




オレらはいま
五感と理性の世界に生きている。
音楽を楽しみ、
酒を楽しみ、読書を楽しみ、
花の香りを楽しみ、
猫をなでてそのやわらかさやさしさを楽しむ。

しかし五感と理性の楽しみだけに執着していると、
のちのち苦しむことになる。
なぜなら、その楽しみはつづかないから。
無常なのだ。

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健康をねがい健康な体を手に入れたとしても、
いつまでも健康ではいられない。
富をねがい富を手に入れたとしても、
富をたもつために苦労する。


いのちの器の体は、いつかほろびる。
富をふやしても、
ブッダになるためには、硬貨は一枚も必要ない。



自分がいま大切だと思っていることは、 
ちっとも頼りにならない。

執着を捨てたときに手に入るもの。
それが真実であり真理かもしれん。





(=ΦωΦ=)




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戒律をこえる碧い海の話  






ふたりの修行僧が旅をしていた。
大きな川を渡ろうとしていたらば
川を渡れずに困っている娘さんがおった。

すぐさま、1人の僧は彼女を抱きかかえ、その川を渡った。
向こう岸で女性は、その僧に感謝の言葉を述べ、去っていった。




何日かして、もう1人の僧が、こう口を開く。

「ずっと考えていたが、
 お前があの川で女性を抱いて運んだことは、
 僧侶としての戒をやぶったことになるんじゃねーか?」

雲水には『女性に触れてはならぬ』という戒がたしかにあった。



娘さんを抱えて川を渡してやった僧は、こう答えた。




「確かに女性を抱いて川を渡った。
 そして川を渡った後で
 俺は彼女をそこに置いてきた。
 しかしお前はまだあの娘を抱いておるんだなぁ」。
  




戒律にとらわれた僧は、不自由で苦しい。
形式に信念がぐるぐるに縛られておる。

娘さんを抱いて川をわたった僧は、自由だなあ。
信念が形式を超えて働いているではないか!






さて。
オレの観たい映画を、うどん県に暮らす友人・良太が
観に行ったようだ。
「ポップコーンほおばりながら観れる映画じゃなかった」と。
だろうな。



原作・遠藤周作の『沈黙』。







オレがこの小説を読んだのは十代後半やった。

遠藤周作作品で最初に読んだのが『海と毒薬』。
舞台が、オレの父の出身校・九州大学、っちゅうことも重なり、
内容にもますます大きなショックを受けた。

その次に読んだ、この『沈黙』にも大衝撃を受けた。

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いまでもくっきりと思い出せる。
ぜったいに忘れることのできん小説。




マーティン・スコセッシが監督やし、
素晴らしい作品になっとることやろう。
あの小説のかなめであるキチジロウ役が、
窪塚洋介っちゅうのも最高だ。


踏み絵を踏んだカトリック宣教師。
キリスト教徒が踏み絵を踏めば棄教である。
しかし宣教師は踏み絵を踏んだ。

なぜか?!


信徒を救うために。



愛=慈悲は
形式の中にあるのではなく
形式から生まれ
形式を超えて働き出す。







『沈黙』の舞台のとなる長崎は島原は、
海がそれはそれは美しく、麺の美味い地域である。

いただきものの
とっておきの島原うどんを
うめーうめー、と、ありがたくいただいたオレら家族。

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出津文化村にある『沈黙の碑』には、
遠藤周作が残した言葉が刻まれている。

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『人間がこんなに哀しいのに
 主よ、海があまりに碧いのです』。



うちのまえの海も今日もとても碧い。




(=ΦωΦ=)


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