ビキニcomブッダ@ブラジル

                                          BRASIL連邦共和国 Rio Grande do Norte州の海辺にて                                                  ビキニで暮らす仏教徒の『ゑん』な日々♪

ばたーり  







まだざくざくお客さんが訪れるわけではないけれど、
レストランを開けて毎日とても忙しくなった。
生活もガラリと変わり、
平日は掃除掃除畑畑庭庭害虫害虫修理修理修理仕入れ仕入れ仕込み仕込み…
ゆくゆくはやらねばならぬ会社登録についても役場に行ったり受講に行ったり奔走している。
土日祝日は来客に備える。
お客さんが来ようと来るまいとつねに緊張している。
ここんとこのオレは毎日毎日、殺気だっとる。

ここいら辺のレストランのスタイルは、土日祝日のみ開店し夜は閉める。
夜も開店しようとしたら集落の友たちから必死で止められたんよ。
夜は静かで人通りもない、強盗が必ずくる、
ほかのレストランと同じく夜は閉めなさい、と。

土日祝日、しかも日中だけ開けるのに、この忙しさやけん、
毎日オープンしている店を想うと、頭が下がる。
計らずもカレー屋のような様相になっとるわがレストランだが、
カレーをメインにしたお店を経営しとる友だちが福岡に2人おる。
ヤッホーカレーが名物のアトリエてらたを夫婦で運営しとるdaiちゃんや、
ランチのみの営業をアルバイトでまかなっている路地裏カレーTikiのToshのことを
心から敬うようになった。
彼らは本当によくがんばっている。と今だから解る。

今ですらこんなにくたくたで、
これからお客さんが多く訪れるようになると
仕入れも仕込みももっとたいへんになり、
いったいどうなるんだろう、と、かなり不安になるけれど、
この状況のなかで必死でがんばるしかない。

常備メニューはカレーとカレーセットだけだが、
これ食べたい、っちゅうて予約をいただければ
日本食などなんでも提供する。
なんでもやってみよう、という前向きな心持ちでいるのだが、
いまひとつ体が疲れすぎていて付いて行けないこともあり、
そのうえ精神的に参ってくるともう力が入らなくなる。
しんどいなぁむくわれんなぁ。
もっともっとタフになりたい。


DSCN0137 2 のコピー 2


こないだ久しぶりに海に行った。
目の前に海がある暮らしだというのに、
訪れたのは3ヶ月ぶりだったことに気づく。
休息も必要、
たまにはバターリと心身ともに倒れることも必要、と
よく理解できた。
だれにもねぎらってもらえないなら自分で自分をねぎらうしかない。


と、深夜眠れずにここまで書いて、
ひとりでカタカタとこうやってブログ書くのも
よき安らぎになっとるなぁ、と気づいた。
読んでくれよるかた、ありがとう!




(=ΦωΦ=)



AD

category: こころ

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 2

Oh! 友よ  







こないだの日曜日・母の日に、
ちよちゃんファミリアが来てくれた。
「きよメシが食べたい」っちゅうて。

ちよちゃんはオレの数少ないNATALの友のなかの1人だ。
彼女の家に強盗が押し入って早1ヶ月。
被害にあったちよちゃんをすぐに見舞いに行きたかったのだが、
連日の警察からの事情聴取と通院治療に追われていた彼女、
オレらも数日後にせまったレストランの開店にむけて
てんこもりの忙しさに終われ、ずっと会いに行けんかったんよ。



ようやく顔のあざも消え、
気持ち的にも落ち着いた彼女たち家族に会えたこと、
なにより元気そうな顔を見ることができて本当に安心した。

タフでおきゃんな彼女は、
しんどかった体験を
笑い話に転化できるほどに快復していた。
泣いたり笑ったりしながら、その武勇伝を聞いた。
日本で教職に就いていた彼女、
おそろしい思いのさなか、
強盗団に説教までかましたあたり、流石!
否、ほめてはいかんのだ!!
生きてて本当によかった!!!

息子のエイトもタフだった。
強盗が去ったあとの母親を支えたのは彼だ。
普通の少年ならちびって泣き叫んでいただろう。
しかしエイトは騎士だった。
彼は本当につらい体験をしてしまったけれど
そのことにより強くなったことが、彼と接していて受け取れた。
いっしょに畑のバジルをむしりながら
元気で強くいてくれることがうれしくて涙がこぼれた。
大切な人たちが元気に生きていてくれることに
あらためて大きな感謝を抱いた。

この強盗体験のことも、
ちよちゃんはしごくあっさりと書いている。
(ちよ記事は → ココ ← クリック)
前向きで強い友だちを心から敬う。



DSC_0174_20170517200348a15.jpg

DSC_0181_201705172038532d6.jpg



パトリシアは、隣のハイムンドん家に空き巣が入ったことを
オレん家も被害にあったのでは、と、とても心配してくれていた。
(彼女は拙ブログを読めてはおらぬが見てくれているのだ)


NATALはとても物騒になっており、
アジア人を狙う組織的な強盗団が幅をきかせておる。
アジア人は銀行口座を持たずタンス貯金をしている、との誤認識から、
現金ねらいで東洋人宅に押し入るのだ。

日本人が住んでいる、っちゅうだけで
とても目立つうえ、
レストランを始めてますます目立つオレらも、
ますます気を引き締めていかねばならない。






たくさん食べて飲んでくれ、
会計の際には
「友だちだから、ってサービスしたらダメ!
 ほら、ちゃんとサービス料も付けなさい!!」
 と、ちよ先生に説教された。

この日いちばん楽しませてもらったのはオレなので、
サービス料はオレが払うべきだ、と
夫と娘にどつかれながら楽しい友人たちが帰るのを
見送った。





(=ΦωΦ=)



AD

category: こころ

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 0

そだててくれてありがとう♪  








5月の第二日曜日は、ブラジルでも母の日。
すべての人は母親のおなかから産まれる。



オレの敬う僧侶・山崎弁栄聖者はこうおっしゃった。


 幾千万年を経て
 アミーバ底の単細胞から
 人間にまで進化して来たと進化論はいう。

 今その道程を
 人の子は母の胎内に一細胞として宿ってから
 わずかに10ヶ月間に
 その道程を経て人の子として生まれ出る。

 また過去1000年の間も続いていた暗でも
 ろうそく1本ともされる事によって
 一瞬にして消滅する。

 お念仏申せば
 み仏の胎内に宿るがゆえに
 このつまらぬ凡夫が
 仏の子として生まれる事が出来るのである。

 凡夫の無始の無明も
 如来の光明に照らさるれば
 即時明るい心になる。





すなわち、乱暴なオレ解釈で言えば、


ブッダを念ずれば
ブッダの体内に宿ることができ
ブッダの子となれる
   (ゆきゑ節)




っちゅうわけで、
田川の母と、ブッダと、
オレは2人のオカンを持つことになる。






ところで、
死んだ者は、輪廻転生するにあたり、
来世どこに宿ろうか、と
宿るおなかを探して選ぶという。

オレもかつて、オカンのおなかを選んで宿ったのだ。
その24年前にオカンは、ばあちゃんのおなかを選んだ。
オトンは、坑夫だったばあちゃんのおなかに宿った。
そしてうたは、オレのおなかを選んでやってきた。





そんでからよ。
昨今のオレは、
産んでくれてありがとう、以上に、
育ててくれてありがとう、の念に
つよくとらわれている。


はっきり言うてしまえば、産むのは誰でもできる。
オレのような母親としてちぃとどうか…っちゅう者でも
産んでしもとるんやけん。
大切なのは、育てることだ。
この『育て』を誤ったろくでなしの親のなんと多いことか!?

子どもはお前のマスコットではないのだ、
っちゅう思いをオレに抱かせる親のなんと多いことか。
ちやほやちやほやしやがって。
自分の叶わなかった夢を追う身代わりに仕立てようとしやがって。
しっかりしてくれ、と思う。
もっと客観的にわが子を見よ、と思う。

子を本当に愛するならば、厳しい対応をする必要も絶対にあるのだ。
そうせんと大人になったときに、
社会というジャングルを自分で伐り開くことができん
弱く卑しい人間になってしまう。





さきほど読み終わった本は
『東京タワー/リリーフランキー』。


IMG_1823.jpg





もう3度も読んどるのだが、
筑豊の母のなかの筑豊の母、っちゅうオカンが最高で最強だ。
五木寛之氏の『青春の門・筑豊篇』にも脈々と流れている川筋気質が
そのまんま『東京タワー』にも在る。

リリー・フランキー氏の母上は筑豊は宮田町に生まれ育つ。
筑豊は田川の炭坑住宅に一人暮らししていた
オレのばあちゃんを彷彿とさせる。

IMG_3202 のコピー 2



ひ孫のうたのことも
とてもかわいがってくれたばあちゃん。


今はもう他界したばあちゃんが
どこにおろうとも
あかるい光に包まれとることを祈ろう。

Feliz Dia das Mães.




(=ΦωΦ=)


AD

category: こころ

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 0

肉を食え  






恐竜のようなゴジラのような、イグアナ。
DSC_0150_2017050101061588b.jpg


すんごい強くておそろしげに見えるのだが、
イグアナは、殺生はしない。
完全なるベジタリアンだ。


うちの犬たちは、イグアナのうんちを食べる。
イグアナのうんちどころか、
レンガとか石ころも糞のなかに混ざっているので、
うちの犬は、正真正銘の雑食、といえるだろう。




さきの写真では、
たまがイグアナをじぃっと見ているのだが、
たまは、野生の本能のまま、狩りを日々楽しんでいる。
イグアナやトカゲやねずみを相手に、
狩猟と殺戮を繰り広げているのだ。




しかし、たまの母親であるちびは、
決して殺生しない。
IMG_4144_20170425005801c07.jpg


こないだも、迷い込んできた小鳥を
たまから守った。
ちびはずっと前から小鳥のことはいつだって庇護する。

同じ猫で、しかも親子なのに、
この違いはどこからくるのだろうか。




これはもう、親子だから似ている、とか
人間だから、とか、猫だから、というのではなく、
唯識の問題なのでは、と昨今のオレは考えている。

たまにとって小鳥は『獲物』で、
ちびにとっての小鳥は『守ってあげるべき弱い者』。

オレにとっての鶏肉は『食べ物』で、
うたにとっては『どうぶつの死体』なのだ。



うたは未だに肉を食べられずにいる。
鶏肉や牛肉・豚肉を食べる行為を、
「ちびやたまを食べるのと同じようなもの」
と、説明づけている。

これはもう生理的なものなので、
どうにもならんことだとは解る。



しかしどうにも解せぬ点もある。

死体を食べることに抵抗がある、というが、
うたは鶏の卵は食べる。
鶏は、草だけでなく、オレの食べ残しの動物の肉や骨を
ばりばり食べて、それを養分として生きている。

仮に、うたが卵も魚も食べない完全菜食者だったとする。
しかし、うたが食べている野菜が、
動物の屍や骨や糞を養分としていないと
どうして言えるのだ。





こないだ、でっかいハンバーグをお昼に焼いた。
うたが鼻をぴくぴくさせて
「おいしそーーーう!」と言う。
「食べてみらんね」と、薦めたのだが、
一口食べて、ダウンしやがった。

「ねえ、豆腐ハンバーグを作ってよお」
 と、半泣きでうったえるうたに
 飛び蹴りをくらわしてやった。





うなぎの味をまねて植物性のみで疑似うなぎ蒲焼きもどきを作るとか
鶏肉を使わずに植物性のみで鶏唐揚げもどきを作るとか、
そのような精進料理をオレはバカにしている。

そんなんしてまで鶏の唐揚げが食べたいなら、
鶏の唐揚げそのものを食いやがれ、ばかっ!
ハンバーグが食べたいから豆腐で作ってくれだと!!
おまえには2度とハンバーグを食べさせん、ボケっ!




お外を散歩しとる馬を眺めながら、
オレが300gのハンバーグを2つ平らげたのだ。
DSC_0085_20170501013210645.jpg


そういえばブラジルは馬を食べんなぁ、
馬刺しを食べたいなぁ、
あぶらっこいタテガミとか最高だよなぁ、
などと思いながら。




DSC_0104_20170501013208f11.jpg


仏教では動物も穀物も植物も石ころもぜんぶが命。
仏性をもっている、と考える。

牛や豚だけが『いのち』を持っていて、死ねば屍となる、
といううたの考え方がオレにはしっくりこないのだ。


土は養分として摂取されて植物となり
植物は動物に摂取されて動物となる。
草食動物は肉食動物に摂取されて、肉食動物となり、
糞尿は、土とともに養分となる・・・
すべては連鎖しとる。

すべての命は切れ目なくつながっている。
命を自分の命として頂く=それが『いただきます』。

そして、
命をいただくことに手をつくした人々、
育てたひと・捌いたひと・
小売りしたひと・料理したひとたちへの
感謝のことばが『ごちそうさま』。

いただいた命をみずからの命の糧として
無駄にしない生き方をするのが本当の不殺生戒。





(=ΦωΦ=)


AD

category: こころ

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 3

しっしっ  






きょうのオレは、いつも以上に性格が悪い。
なので、いつも以上の拍車をかけた悪態をつくのだ。

昨今ではコミュニケーションの手段として
インターネットが大きな比率をしめるようになったが、
それは主にメールのやりとりや、
SNSでわきあいあいしたり異見を交換したりが主流だと思い込んでいた。

関係を築く・気持ちを伝える方法として、有意義に働くことも多いインターネットだが、
関係を遮断する方法として、もうどんなコミュニケーションすら使わず、
すなわち言葉をひとことも発せずに関係に壁を立てる方法、
ブロックする、という動作を昨今たてつづけにされたオレ。


特定の人物に対してSNSをブロックする。


この行為をする、著名人は多くおるやろうと想像できる。

オレだって、ブログにしつこく迷惑コメントを投稿してくる輩に対しては、
迷惑コメント処置として、コメントを受け付けない手段をとったことはある。


しかし、だ。
かつて友だちだった人が、オレをブロックする、っちゅうのは
どういうことだろうか。

不仲になったのは仕方がない。
絶交だ、っちゅう宣言なのかもしれない。
しかし不仲になり疎遠になるということは、
その人はもう自分の世界にいない人なのだから、
彼・彼女のSNSをのぞきにいったりオレは決してしない。

それなのに「ブロックしたぞ、さようなら」と直接に言われたり、
人づてに「あの人、ゆきゑをブロックしているよ」と知らされると、
戸惑うし、不快だ。

なんて自意識過剰なんだろう。
あなたのことを追わんし見たいと思わんよ、と。

立て続けにこのごろオレをブロックしとるかつての友人はふたりいて、
男性と女性なのだが、
ふたりは、とても性格が似ている。
とても子どもっぽいのだ。
主観をかえてみるという想像力に欠けている。

そのように関係の終焉を経て、
なによりぐったりがっくりくるのは、
そんな子どもっぽい連中と親しくしていた自分に対してだ。

オレという人間も、
同じく子どもっぽくて未熟で自意識過剰なのだ。
と思い知ることになる。きつい。
類は友を呼ぶのだもの。

自分のことを省みてがっくりくることだらけやが、
これを学びの糧として、
良き人間になるごと日々股精進やな。



っちゅうことを考えたのも、
さっきインスタグラムをみていて、
以前むこうから一方的にフォローを解除してきた人が
オレのアカウントをわざわざ見に来たことが解ったから。
ストーリーというやつは、誰がみにきたかが解るのだ。

これが全然知らない相手なら、
フォロー解除した人が自分をたびたび覗きに来る、
なんてことは、茶飯事だろう。
好きな写真を投稿するアカウントがあってフォローしていたけれど
そのうち飽きてしまったので解除する、
というようなことはしょっちゅうあると思うのだ。

ばってんこいつは(仮称をBとする)
かつてここで同居している最中にオレのフォローを解除したのだ。
毎日毎日顔をあわせているのだから、
SNSまで毎日見たくない、というのは解る。
ばってん、そのことを言葉で伝えなかったことに
言いようのない不気味さを感じた。

ここを出てから解除すればもう会うこともないし角が立たんのにな、と。
もともと暗くなにを考えているかわからん人物やったのだが、
ますます陰鬱なものが見えた気がして、
気を滅入ったものだ。


でも、まぁ、それはいい。
もういい。済んだことだ。
Bもまた、子どもっぽい人間だ、ということなのだから、
それはそれでその人の性質なのだから、いいじゃないか。
Bはもうオレの人生のわっかの外の人なので、
どうでもよかったのだ。

ばってん、みずからフォローを解除したくせに、
いま、ふたたび、
わざわざ検索してのぞきにくるとはどういうことか。
気持ちわるい。
そういう、じめっとした陰湿質な人間は苦手だ。

せっかく忘れていたのに、思い出させやがって。


おっと。。
こんなことを書き散らしているということが、
相手の次元に自分も陥っとる、っちゅうことだ。

やはりまだまだ未熟やなオレ凹

とびきり辛いカレーを食べて毒消し。

レッドカレー2 のコピー



最後につけたしとくと、
前述の子どもっぽい男女とは、
かつてしっかりと『愛する友だち』という関係だったので、
これからさきの将来、復縁することもありえる、と思っとる。

しかしB子については『1度も友人だったことはない』と
いま振り返っても認識しとるので
永遠に、しっしっ、なのだ。





(=ΦωΦ=)


AD

category: こころ

thread: ブラジル - janre: 海外情報

tb: 0   cm: 0