ビキニcomブッダ@ブラジル

                                          BRASIL連邦共和国 Rio Grande do Norte州の海辺にて                                                  ビキニで暮らす仏教徒の『ゑん』な日々♪

自分の命は自分だけのものではない  





昨今のオレの知人のなかに3名、
『はやく死にたい』
などと口にする輩がおるんよ。
いずれも、末期がんで苦しんでるとか
不治の病に悩んでるとか
最愛の伴侶を事故で亡くしたとかいう状況におる者ではなく、
健康で経済苦もない者たちだ。

そのうち2人には配偶者も子どももおる。
いずれの配偶者も子どもも
難病も抱えておらん健康体で、不登校でもなけりゃいじめっ子でもない。
そのような家族に囲まれた
はたから見りゃあ、なんの不服も不足もないような人物が
「死にたい」と、口にしとるのだ。

もう1人はまだ未成年で、
以前に服薬自殺をはかって未遂に終わったが、
病院に運んで昏睡状態を長時間見守っとるときの気持ち
死なないと解ったあとも後遺症がでるのではと心配する気持ちなど
親の気持ちを想うと胸がズキズキする。




「死にたい」などと言えるのは、
自分勝手で、自分のことしか考えてない者だ。

自分の命は自分だけのもの、ではない、と
知るべきであり、
まずは身近な人への思いやりを持つべきだ。
自分が死んだら深く悲しむ人がいることを知るべきだ。
それより前に
「死にたい」と言った時点で
大切な人を重く悲しませていることに気づけ。

しかしこのテのわがまま身勝手なやつに
やさしさと想像力を求めても無駄であろう。
自分のことしか考えることができず、
他者や家族の気持ちを想像できない。
だからそのような発言をするのだから。

オレ個人としては、そのような言動をする人間とは
しっかりはっきりくっきりと心の距離を置くようにしている。
思いやりのない自分勝手なやつとはお近づきになりたくないのだ。

ばってん、『死にたい』発言をする家族をもつ人は
家族ゆえに逃げるわけにも距離をおくわけにもいかず、
つらい思いをしとるやろうと思うんよ。
そういうかたの力になれれば、とオレの意見を以下書いてみる。






「命は誰のものか」。
ほとんどの人が「命とは自分のものだ」と思っとることやろう。
当たり前やん、っちゅうて、思いよるやろう。
社会全体も、そんなふうやし、
教育の現場でも、個性を育てろ、意志をもて、とか、
昨今では、「自己責任」っちゅういやーーーな言葉も流行ったな。

戦後はとくに、アメリカの影響を受けて、
自己中心主義、っちゅうものが幅をきかせておる。
「夜ごはんは、鶏肉よ。
 唐揚げと炭火焼きとどっちがいい?」と、たずねられて
「どっちでもよか」と答えたら、
「お前には自分の意見っちゅうもんがないのか!」と ののしられるような風潮になっとる。

オレが子どもの時分には、ピアスの穴をあけたり入れ墨いれたりしたら
「親からもらった大切な身体に穴あけたりラクガキしたりして! ばか者!」
っちゅう風潮があった。
整形手術なんて、もってのほか。
いま、そげなことを言うたら、
「個人の自由ではないか」
「タトゥーいれとる人への差別だ」
「自分の体に何をしようと自分の自由だ」ゆうて、怒られるのだ。


現代社会は、
すべてを自己から考え、自分にその価値判断の基準をおいとる。
命についても然りで、
自分の命は自分のもんやけん、自分の好き勝手に生きてよか、っちゅう認識となっとる。

「おかあさん、お金がほしいけん、援助交際していい?」
「だめ」
「じゃあ、パンツ売っていい?」
「だめ」
「なんで駄目なん? 援交は売春やけん犯罪かもしれんけど、
 脱いだパンツ売るのは誰にも迷惑かけてないやん!?」

これに答えられる親は少なくなってきとるんじゃないか?!
人間としての守るべき道徳について教えることが。




この宇宙が最初に創られたのは約137億年の昔。
やがてその宇宙生成のプロセスにおいて生命が誕生するにいたる。

その生命の成立する確率は、
フランスの宇宙物理学者の計算によると10の千乗分の1である。
10分の1とか、100分の1とかなら、
生命の誕生は偶然だ、ともいえるかもしれんばってん、
10の千乗分の1、っちゅうたら、偶然やないで必然であったとオレは思う。

「宇宙には意志がある」(元NASA-アメリカ航空宇宙局高等研究員・桜井邦朋氏)
 っちゅうほかなかろう。
 その宇宙の意志において、
 ガガーリンが「地球は青かった」と観得たこの惑星に
 オレらは生かせてもろうとる。


宇宙における生命の誕生はただただ奇蹟中の奇蹟という他はない。
そしてその奇跡の宇宙意志は
オレらの細胞のひとつひとつに、
さらには遺伝子の先端にまで働いとる。

山崎弁栄聖者はわれわれの生命活動の先端(細胞)に働く宇宙意志のことを
「選択本願」と呼ばれた。
そこに、マクロマスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙)との
不思議極まる呼応関係を考えたゆえだろう。

そしてこのような宇宙のいとなみの一環として
われわれ一人ひとりの生命のいとなみが考えられる。

やけん、オレの命の上に宇宙意志がはたらいているのであって
決して「命はオレのもの」
あるいは「自分だけのもの」などとは
とうてい言えぬ。


オレらの生命の営みとひとつになって
宇宙の営みもなされとる。




人間の寿命は、数十年。
それは137億の宇宙の歴史を背景に成立しており、
そのことを考えるとオレらの命は、畏れ多き神聖なもので、
自分勝手に計らうべきものでは決してない。






仏、菩薩などの存在は、高次の生命 といえるんじゃなかろうか。
それに向かっての更なる宇宙の営み っちゅうのをオレは想像する。
宇宙における生成(あるいは次なる展開)における高次の生命とは
いかなるもんやろうか・・・


弁栄聖者の高弟、田中木叉上人は、

    青い稲葉はその中に
    白いお米の実るため
    死ぬる身体はその中に
    死なぬ生命の育つため

     と歌われたが、

『死なぬ生命』とは、楊貴妃や卑弥呼が欲しがった例のやつではなく、
より高次の生命のことである。




その、
より高次の生命の実現のため、
この肉体の生命の存在の
測り知れない尊い意義
 がある。

 



オレらの生命がオトン・オカンを縁として誕生してくる可能性は
70兆分の1であるげなよ。
そこにも宇宙の選択の意志(本願)が働いとるよなぁ。

一人ひとりの生命が70兆分の1の可能性で生まれてくる
その奇跡ともいえる存在にただただ
ありがとう、っちゅうて拝まざるをえないなぁ。


DSCN9406_201510070507018ef.jpg



オレらの命には、
かかる背景もあり、奥行きも広さもある。
肉体の内側だけのことではない。
それは一日一日の生活そのものにも関わっており、
1日の命に175億年の銀河系宇宙の時間が
凝縮してもおる。






大宇宙 イコール、オレの宗教観では阿弥陀様、であるので、
オレの命はあみださまの命であり、
あみださまの命はオレの命
 である。

信仰をもたぬ人は、
『オレの命は大宇宙の命でもある』
認識してほしい。



さまざまなこととの連鎖、すなわちつながりがあるからこそ生きていられる。
これが縁。
自分の身体のなかのも、ミトコンドリアが棲んでいる。
ミトコンドリアが死んだらオレら人間は生きてはいけない。
そしてミトコンドリアは自殺したりしない。
ミトコンドリアとオレは共存しとるけん家族みたいなもんなのだ。

やっぱり家族や友人を悲しませてはいけない。
この宇宙自体がひとつの大家族。




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 |  #
2015/10/07 08:57 | edit

しばらく前にツイッターで見て,一瞬で心打たれたメッセージを思い出しました.
東本願寺の
「今,いのちがあなたを生きている」っていうあれです!

いのちが自分だけのものではない,って思うと
わたしは何だか嬉しくて仕方ないです♡
こんな美しい世界と,わたしが,一つのものであったとは…みたいな感じで(^o^)

URL | クマメグ #.BgL0k0g
2015/10/07 11:32 | edit

深い・・・・じわっと

ゆきえさんの今日のブログも深いなぁ、そして心にグッと響くメッセージです。このブログの記事、私だったら中学の道徳の授業の教材にします。
自殺率の高い日本人に是非読んで欲しい。
教育実習や塾講師時代に小中学生の子供たちを見てきましたが、
今の日本の子供達は本当にいとも簡単に友達にでさえもにも「死ね」
って言葉を簡単に使います。「死」「命」という言葉に重みを感じて
いないし、大切な人との別れをもしかしたら経験してないからこそ
言えるのもあるかもしれません。
学習指導要領に「想像力」なんて言葉を盛り込んていますが、
日本人は欠如しまくってると思います。

小学校1年生のときに私をとても可愛がってくれた、
幼なじみのお兄ちゃんが小児ガンで亡くなりました。
それが私にとって人生ではじめての身近な人の「死」でした。
とても悲しかったです。焼き場のときに火葬中も
おばさんがずっと扉の前で立っていました。
まだ小学1年生でしたが、自分の子供を亡くすことが
いかに辛いことなのか痛いほど身にしみました。
そのときのおばさんの背中、後ろ姿は今でも克明に
目に焼き付いていて一生忘れることはないです。
自分自身が親になった今ではもっと気持ちが分かります。

お兄ちゃんの亡くなる最期の言葉は「僕まだ死にたくない」
だったそうです。

お兄ちゃんの死から、私は「死ぬ」「死ね」という言葉は
自分にも他人にも絶対に使ってはいけない言葉だと
思ってきました。まだまだ生きたかったのに、やりたいことが
あったのに亡くなった命がある、そして我が子を亡くした
悲しみ。なので私もゆきえさんと同じく簡単に死を口にする
こと、人は許せなかったです。

病気でもないのに、まだまだ健康で生かされている、
というのに自ら死を選ぼうとしている人こそ愚かで
親不幸者ですね。自ら命を絶ったところで、その先に
あるのは楽でもないし、魂になったあとも苦しみは永遠に
消えないでしょう。

URL | summereyes #-
2015/10/07 13:18 | edit

通りすがりさんへ

誰の言葉も本気で自殺しようとしとる人を止める力はなかろう。
あなたの言葉は、的を射ている箇所もある。ありがとう。
あなたが、まじめに仏道を実践していることも想像できる。
しかし的はひとつだけじゃない。
オレの打つ矢はあなたには当たらんばってん
当たる心臓もあるかもしれん。
郵便局の行き方をたずねられたとき、
答え方はひとそれぞれ。
どの行き方で郵便局にたどりつくかを選ぶのも人それぞれ。
そして、どの郵便局を選ぶかも、仏道の実践も人それぞれ。

URL | 金玉ゆきゑ #-
2015/10/08 18:50 | edit

クマメグちゃんへ

いのち、の語源が、胃の血、っちゅう説を知ったとき、
腹の中心である胃にも宇宙があるなぁ、と感じたなぁ。
胃袋を中心とする自分の体を大切にせにゃならんなぁ、と。
いのちが自分だけのものじゃないと想って喜んでいるクマメグちゃんがものすごく素敵だ!

URL | 金玉ゆきゑ #-
2015/10/08 18:53 | edit

summereyesちゃんへ

おさななじみのお兄ちゃんのいる風景、summereyesちゃんの心の中に彼のおかあさんの姿とともに永遠にあるね。
「死」を簡単に口にすることを厭うこと、以前summereyesちゃんから聞いたとき、
その真剣さに胸をうたれたことを思い出したよ。
そのときのオレは、ふざけて「死ねーーー」とかしょっちゅう言いよったもんね。
しかしむなしいばってん、本当に自殺するとこまで追いつめられとる人に命の大切さとか説いたところで
なんも届かんやろうね。
すかんのは、本気で自殺するつもりもないくせに、軽く「死にたい」と口にするやつ。
やっぱり想像力の欠如は、周囲のひとをいちじるしく傷つける破壊力があるよなあ。

URL | 金玉ゆきゑ #-
2015/10/08 19:12 | edit

胃の血,がいのちの語源…!それは初めて聞いた説です.
おもしろいですねぇ.なんか生々しくって,躍動感があって,生きてる感があってイイですね‼︎

自分の身体は敬い,丁寧に相対しないといけないよねー,と思います.
美味しく楽しくご飯を食べて,一瞬一秒ごとの喜びを疎かにせず掬いとっていきたいナ.

自分のいのちが,わたしだけのものじゃないなら
いま世界に起きている良いことも悪いことも全部,わたしの一部なんだと思います.
私は暴力や不誠実を嫌悪しますが,
それら害毒はわたしの一部で,わたしは害毒の一部なのだと.
だったらなおのこと,
思いやりの氣持ちを持ちつつ,自分がご機嫌ちゃんでいられる為に
今夜もプシュッと乾杯しよっかなーと思ったりします.

URL | クマメグ #.BgL0k0g
2015/10/09 09:11 | edit

クマメグちゃんへ

胃の血を澄ませるように、
きょうもにこにこプシュっとかポンっとかとくとくとくっとか、ね♪

URL | 金玉ゆきゑ #-
2015/10/10 20:03 | edit

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